世はSNS全盛時代。ネット上はキラキラした写真や動画でいっぱいだ。しかし、SNSに実生活が侵食されることはないのだろうか。
本谷有希子『セルフィの死』は、そんなSNS時代の生きづらさを描いた、笑いも引きつる小説である。
主人公のミクルは学生でも社会人でもない20代女性。〈この世は不快な場所だ。この世は不愉快な場所だ〉と思って暮らしている。ネット上で知り合った友人のソラと双子コーデのファッションに身を包み、甘いものは大嫌いなのにホイップクリーム添えのパンケーキをはさんでソラと自撮り写真を撮る。それもこれもフォロワー数を増やしたいから!
セルフィとはズバリ、自撮り写真のこと。彼女は承認欲求に取りつかれ、自我の崩壊に直面しつつある。つまり相当ヤバいのである。ヤバい証拠に〈撮影を始めると、顔が毒々しい色合いのイソギンチャクに変化する〉し、自撮りを注意されると、イソギンチャクはみるみるしぼんで〈パンケーキと撮影できないと死んじゃうんです〉と叫んでしまう。
どんな手を使ってでもフォロワー数を増やしたい彼女は他人の写真を無断盗用して謝罪を要求されたり、行きたくもない原宿で夢カワ系スイーツの行列に並んでみたりするが、何をやってもフォロワーは遅々として増えない。
意識が正常なときの彼女は自分のことをちゃんと客観視できるのだ。〈あの不定期に訪れる、正体不明の焦燥感。私はいつもあの発作に怯え、あの発作に振り回され、あの発作にコントロールされながら生きている〉〈何故私は吐き気がするほど、震えるほど、見知らぬ人間から承認されたいのだろう。アメーバのくせに承認されたいのだろう。(中略)他人からフォローされるような存在になれば、何かがマシになるとでも?〉と。
そんな彼女にもしかし、ついにバズる日がきた。ソラが撮ったミクルの回転寿司爆食動画が「大食い恍惚女子」として人気を博したのである。かくしてソラは自らディレクションしてプロを雇い、都内の映えスポットを回って映えスイーツを食べまくる動画を撮るが……。
本谷有希子の作品は、ゆがんだ自意識が目に見える動植物や異形の者となって現れるのが読みどころ。意に染まぬ撮影中に変化する顔面が「イソギンチャク」なら、ストレスですり減るのは彼女の中の魂ならぬ「玉ねぎ」である。
ミクルの不幸は、皮肉屋で理知的な生身の彼女と、面倒なことは考えないかわいいものとスイーツ好きなSNS上の彼女との乖離が激しすぎたことだろう。だが、SNSで身動きがとれなくなった人は現実にもいるのではと思わせる。
夢にまで見たフォロワーの激増。しかし、彼女の願望は〈もう二度とSNSができない身体にしてほしい〉。
ちょっとシュールでホラーな、でも現代を鋭く切り取った佳編である。