山本文緒さんの闘病記『無人島のふたり』にアラフィーからの反響の声が続々!

’21年10月、膵臓がんのため58歳という若さでこの世を去った山本文緒さん。翌年刊行された闘病記『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』が今、熱く静かに読まれている。彼女が最期まで貫いた流儀、そしてエクラ世代に愛された理由とは。Jマダムアンケート、エクラメルマガアンケートに寄せられたコメントの一部をご紹介します。

がん告知から最期までをつづった日記
『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』

がん告知から 最期までをつづった日記

’21年4月に膵臓がんのステージ4bと診断されて抗がん剤治療をするも副作用に苦しみ、自宅で緩和ケアを受けることにした山本さん。余命を医師に告げられ「4か月ってたった120日じゃん」と涙が止まらなくなる、「(夫と)ふたりで無人島に流されてしまったような」と感じる……そんな日々が書かれた、亡くなる9日前までの記録。新潮社 ¥1,650

『無人島のふたり』にアラフィーからの 反響の声が続々!

■何のてらいも作為もなく、ひたすら素直にその日のできごとや気持ちが書かれた“日記”だけに、著者の人柄――どこか少女のような純粋さ――があらわになっていて、心に響きました。病状がすすむ自分の姿を時に少しのユーモアを交えて書くことができたのは、長年の作家としての性(さが)や力量があったからこそでしょうか。読後には憐憫の情や悲壮感ではなく、ふわっとした不思議な温かさが心に残りました。50代でこの本に出会えてよかった。(53歳・主婦)

■「死」は悲しいことではありますが、生まれてきた以上避けては通れない宿命なので、筆者の日記を読み終えたあと、つらいけれど幸せを感じました。素敵な人生を体験させていただいたような気持ちです。(52歳・主婦)

■一気に読みました。私は悪性度の低いがんにかかりましたが、再発の危険性はゼロではありません。ほかの病気にかかる可能性もあります。だから「いつか自分にもこのような日がくるかもしれない」「もし余命を告げられたらこんなに俯瞰的に自分の状態を見られるだろうか」と思いました。もしその日がやってきたら、また読みながら過ごしたい。(52歳・医師)

■「人はいつか死ぬ」――そうわかってはいるけど、日々の忙しさで感覚がぼけていました。きれいにていねいに、そしてやるべきことの優先順位を考えて生きたいと思いました。私のまわりにもパートナーを亡くした友人がいます。彼女の気持ちや強さに思いを馳せる機会をいただけた本でもありました。(54歳・会社員)

■私は27歳のとき、当時56歳だった母の胃がん闘病を経験しています。ステージがかなりすすんでいて、胃だけではなく転移の可能性があった胆たんのう)と脾臓(ひぞう)も全摘しましたが、母は今も健在。81歳になりました。この本を読むと、やはり当時のことを思い出してつらかった。途中で何度も読むのをやめたのですが、山本文緒さんの文章を追いたい欲求が私にまた本を開かせました。58歳は若すぎるけれど、優しいご主人に愛されて、文緒さんよかったな。(52歳・会社員)

■年齢の近い山本文緒さんの最後の4カ月を、私も一緒に過ごした気持ちになりました。今まで死ぬことから目をそらしていた気がしますが、それは生きることから目をそらしているのと一緒かもと考えるように。たぶん、これからの私の生き方が変わると思います。(55歳・インストラクター)

■さざ波のような作品でした。静かに打ち寄せる波が「今日はこんなだったよ」と語りかけてくるような……。「私の時間も残り少ない」という言葉が、胸にギュッと入り込みました。私はいつも家族に愚痴を聞かされているので、「もうこれ以上つらい話はイヤ」という思いがあり、闘病記のような本を読むのは避けていました。でも今は読んでよかったと感謝しています。(53歳・主婦)

■山本文緒さんは私より少しだけ人生の先輩でお姉さん的存在。彼女が結婚、離婚、再婚、うつ病発症などの経験から生み出したであろうさまざまな言葉に支えられて、今の私が存在しています。『無人島のふたり』はラストがわかっているので、読み進めるのが悲しく寂しくなり、涙が止まりませんでした。できるだけ夫や周囲の人に迷惑をかけないように、そして自分の最期が少しでも穏やかな状態でありますように……、100%本心ではない部分もあったかと思いますが、そんな安らかな死を迎えたいという気持ちも伝わってきました。また山本さんご夫婦のいい距離感、互いへの尊敬の念、相手を思いやる気持ちが感じられて、おふたりがとてもいとおしくなりました。私だったらどんな言葉をかけることができるだろう。私の夫は病気で前妻を亡くしているので、「自分より先に死ぬな」という言葉をよく口にします。どちらが先になるかは別として、それぞれの最期が近づいたとき、山本さんご夫婦のようないい距離感で、不器用さをさらけ出しながらもお互いを慮(おもんぱか)る関係でいられるように、日々を積み重ねていきたい、いかなければと思いました。(51歳・主婦)

■きちんと自分の状況を理解した山本さんはきっと怖かったはず。でも毎日自分と向き合い、残り時間を淡々と精一杯過ごした。それがすごいと思いました。58歳・会社役員)

■自分にとってとても大きな存在の作家さんだったので、冒頭から泣きどおしでした。山本文緒さんが亡くなったこと、もう新作を読めないことを、今も受け止められていません。『無人島のふたり』は、本棚のお気に入りを置く場所に大切に保管してあります。(45歳・主婦)

■今年に入り山本先生と同じ病で亡くなった友人の訃報を聞いたので、私にとってはこの本は友人からの手紙のようでした。(58歳・主婦)

■共感したのは、余命宣告を受けても、冷静にまわりのかたがたのことを案じていたように見える山本さんの姿。健康な自分には山本さんの苦しみは計り知れないことなのですが、自分の状況が思わしくないときであっても、案じることのできる誰かが存在していることはとてもありがたく、生きがいにもなっただろうと思うのです。自分のいなくなったあとのことにまで思いを馳せ、感謝する山本さん。旦那さんに対しての言葉の端々に、信頼とも呼べる愛情を感じ取りながら読み進めました。日記の最後の日のパッととぎれる感覚、私は何度読んでも、古いフランス映画を思い出します。あっけない幕切れ。とても悲しいけれど、でも、涙は出ません。人の死とはこういうものだよ、と山本さんが身をもって表現してくれたように感じました。(50歳・大学教員)

山本文緒プロフィール

山本文緒
写真提供/新潮社

ʼ62年(0歳)神奈川県横浜市で生まれる。

ʼ80年(18歳)神奈川大学経済学部経済学科に入学。

ʼ84年(21歳)証券保管振替機構に就職。

ʼ87年(24歳)「プレミアム・プールの日々」でコバルト・ノベル大賞佳作を受賞。

ʼ88年(25歳)『きらきら星をあげよう』を集英社コバルト文庫から刊行。退職、結婚。

ʼ92年(29歳)『パイナップルの彼方』を刊行。この作品から一般文芸に移行する。

ʼ94年(31歳)離婚。

ʼ99年(36歳)『恋愛中毒』で吉川英治文学新人賞を受賞。

ʼ01年(38歳)『プラナリア』で直木賞を受賞。

ʼ02年(39歳)再婚。互いに住まいがあったため別居婚に。

ʼ03年(40歳)うつ病治療のため精神科にひと月入院。

ʼ06年(43歳)約5年ぶりに再び小説を書きはじめる。

ʼ07年(44歳)エッセー集『再婚生活』を刊行。

ʼ21年(58歳)膵臓がんのステージ4が発覚。『自転しながら公転する』で島清(しませ) 恋愛文学賞、中央公論文芸賞を受賞。『ばにらさま』を刊行。10月、軽井沢の自宅で死去。

ʼ22年『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』が刊行される。

●そのほかの作品に、『あなたには帰る家がある』『眠れるラプンツェル』『絶対泣かない』『群青の夜の羽毛布』『シュガーレス・ラヴ』『そして私は一人になった』『落花流水』『ファースト・プライオリティー』『アカペラ』『なぎさ』『残されたつぶやき』など多数。

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