元祖ブラック企業「女工哀史」の実態を描いた『不屈のひと 物語「女工哀史」』など3冊【斎藤美奈子のオトナの文藝部】

今話題の本を文芸評論家・斎藤美奈子さんが紹介。大正期の紡績工場の実態を描いた記録文学『不屈のひと 物語「女工哀史」』など「女工哀史」にまつわる3冊をピックアップ。
『不屈のひと 物語「女工哀史」』

『不屈のひと 物語「女工哀史」』

石田陽子
岩波書店 ¥2,420
評伝文学とはいえ、関東大震災、労働運動の推移、戦時の暮らしなど、社会的な事象にも紙幅を割き、大正・昭和を生きた先人や働く人々の群像劇の趣(おもむき)も。ちなみに夫の死後、トシヲは労働運動家の高井信太郎と再婚するが、信太郎もまた敗戦直後に死去。トシヲは5人の子供を抱えて戦後もなお、働きながら社会の理不尽に立ち向かっていく。丹念な取材と資料探索によって蘇ったトシヲの姿は魅力的だ。

『女工哀史』出版から100年。堀トシヲの半生を描く評伝文学

劣悪な労働環境の職場を指す「ブラック企業」という言葉は、今やすっかり定着した感がある。

なんだけど、元祖ブラック企業といえば、そう、『女工哀史』だ。大正期の紡績工場の実態を描いた記録文学で、著者の細井和喜蔵は当時28歳。彼の執筆活動の影には強力な助っ人がいた。事実婚の関係にあった妻・堀としをである。

石田陽子『不屈のひと 物語「女工哀史」』は、この堀としを(作中ではトシヲ)を主人公にした評伝文学だ。

和喜蔵とトシヲは東京の同じ紡績工場(東京モスリン亀戸工場)で働く労働者だった。体を壊すなどして会社をクビになった和喜蔵の見舞いに、トシヲが訪れたのが最初の出会いだった。

トシヲは19歳。和喜蔵は24歳。〈堀さんはどこの生まれ?〉〈山の中です。すごく貧しい村でした。細井さんは?〉〈丹後半島の付け根。宮津湾にほど近い盆地でね。丹後ちりめんの産地ですよ〉。そんな会話から始まり、何度か会って和喜蔵が〈女工さんたちの悲惨な実情を、一冊の本にまとめて世に出す〉ことを目ざしていると知ったトシヲは、感激して〈お手伝いします〉と応じた。〈あたし、ずっと女工でしたから。お役に立てると思います〉。やがてふたりは同棲。夢に向かって走り出す。ところがそこにおそいかかった関東大震災!

困難はこのあとも続くのだが、ここにいたるまでのふたりの人生も壮絶だ。

京都府与謝郡加悦町(現与謝野町)に生まれた和喜蔵は、小学校を5年で中退して地元の機屋で働きはじめ、13歳で大阪の織布工場へ。組合運動に熱中してブラックリストに載り、大阪で働けなくなって上京したのは22歳のときだった。一方、岐阜県揖斐郡久瀬村(現揖斐川町)に生まれたトシヲは10歳で女工となり、その後転職した豊田紡織で出会ったストライキと一枚のビラが彼女の人生を変えた。〈我らは決して機械ではない〉と記されたビラに感動したトシヲは、その日のうちに荷物を売って上京するのだ。

ふたりの共通点は、労働者を人間として扱わない会社に義憤を抱き、その是正を求めていたことだろう。よって作中にはストライキの現場など、組合活動の熱気が臨場感をたっぷりに描かれる。

もっとも、ふたりの人生が並行して語られるのは本の前半まで。というのも大正14(1925)年、『女工哀史』が出版された1カ月後に和喜蔵は病が悪化し、この世を去ってしまうのだ。しかも直後に生まれた長男もわずか1週間で死亡。22歳の若さで夫と子供をほぼ同時に失ったトシヲがこのあとどうやって生きていったかが後半の物語だ。

今年は『女工哀史』出版100年の年にあたる。希代の名著の著者とその妻の知られざる生涯。重苦しい小説かと思いきや、どんな困難もはね返していくトシヲの姿はむしろ爽快で、読み応え十分。読後不思議とパワーをもらえる。

あわせて読みたい!

『わたしの「女工哀史」』

『わたしの「女工哀史」』すか? 』

高井としを
岩波文庫 ¥1,078
『不屈のひと』の主人公トシヲのモデルになった堀(高井)としをの自伝。初版は1980年。岐阜県の女子短大の教員と女子学生たちへの聞き書きから生まれた本で、『女工哀史』誕生に多大な貢献をしたとしをの存在を初めて世に知らしめた。『女工哀史』の印税をめぐるトラブルも必見。

『あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史』

『あゝ野麦峠  ある製糸工女哀史』

山本茂実
角川文庫 ¥748
細井和喜蔵やトシヲが働く紡績業が綿花を紡いでコットンの糸や布にする仕事なら、製糸業は蚕の繭からシルクの糸をとる仕事。長野県岡谷市を中心とした製糸工場の元女工360人への聞き書きから生まれた本書は1968年刊。大竹しのぶの主演で映画化され、大ベストセラーになった。

文芸評論家・斎藤美奈子
さいとう みなこ●文芸評論家。編集者を経て’94年『妊娠小説』でデビュー。その後、新聞や雑誌での文芸評論や書評などを執筆。『忖度しません』『挑発する少女小説』『出世と恋愛』『あなたの代わりに読みました』ほか著書多数。最新刊は『ラスト1行でわかる名作300選』(中央公論新社)。
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