【小説家 千早茜さんインタビュー】人の心の不思議に迫る長編小説『赤い月の香り』の魅力に迫る

愛する者を失いながらも、なぜ人は生きるのか。戦国末期の石見(いわみ)銀山を舞台にひとりの女性の不屈の生を描ききった『しろがねの葉』で、新・直木賞作家となった千早茜さん。作家としての成長のため、これまで一作ごとに自身の中で課題を設定して小説を書いてきたという。

人間とは? その問いへの答えを、物語の中に探しにいくんです

千早茜さん

「時代小説に挑戦するとか、連作を試してみるとか。この15年間、どんどん違うものを書いていこうというスタンスで取り組んできたので、基本的に続編はやらないポリシーだったんですが……」

受賞後第一作として刊行された『赤い月の香り』は、3年前に発表した『透明な夜の香り』の後を継ぐ長編小説。香りを題材に人の心の不思議に迫る作品であえて禁を破った理由をたずねると、「コロナ禍の閉塞感の中、香りを扱うことで自分でも癒されたと感じていました。読者のかたがたもきっとそうだったんじゃないかな? と思って」という答えが返ってきた。

物語のキーパーソンは、人の記憶や体験にまつわるあらゆる匂いを香りとして具現化する天才調香師・小川朔(さく)。彼のもとには日々、さまざまな依頼人が訪れる。忘れられない場所の匂い。愛する人の匂い。時には嗅覚を失った人までもが、それでも渇望する匂いを彼に訴える。誰もがその身に世界にひとつの体臭をまとっていて、それを求めることは唯一無二の欲望だと語る朔。依頼人たちの思いを探り、その深層に見出したものを彼は香りに結実させていく。

前作が「透明」なのに対し、今作のモチーフカラーは「赤」。血や暴力性をうかがわせる色だけに、欲望の中でも特に、加害性をはらんだ執着がクローズアップされる。自身も香りには敏感だという千早さんならではの緻密でリアルな人間心理へのアプローチは、謎解きのようにマジカルだ。

「恋愛や親子関係のように、関係が濃くなればなるほど、加害性は出やすくなると思うんです。嫉妬や独占欲から相手を傷つけてしまうことが、私はとても怖くて。正しい執着、間違いのない執着ってなんだろう?ということを、朔と一緒に探ってみたかった」

作中、流麗かつ鮮烈に描写される香りの数々。それらを想像しながら、自分は今、どんな匂いを発しているのか、そして、本当は何を求めているのか──と、いつしか思いを馳せてしまう。「そう、人って、わからないものですよね」と、千早さんもうなずく。

「よく『小説を書いているんだから人のことがよくわかるんでしょう?』といわれるけれど、むしろ、全然逆。私の中には人間という存在に対する問いが常にあって、人間について想像することでしか答えを見つけられない。小説を書きながら、私はそれを物語の中に探しにいくんだと思います」

『赤い月の香り』

『赤い月の香り』

「君からは怒りの匂いもする」。謎めいた調香師・朔の言葉に誘われ、古い洋館で働き始めた青年・満。奇妙に静謐(せいひつ)な時を過ごす中、彼はやがて心の中に眠らせた赤色の記憶を呼び覚ます……。シリーズ前作の『透明な夜の香り』は文庫版が発売中。芳醇な香りに包まれる極上の物語体験を。集英社 ¥1,760

千早茜

千早茜

ちはや あかね●’79年北海道生まれ。立命館大学文学部卒。’08年、『魚神』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞を受賞する。’13年に『あとかた』で島清(しませ)恋愛文学賞、’21年に『透明な夜の香り』で渡辺淳一文学賞、’23年1月、『しろがねの葉』で直木賞受賞。近作に『ひきなみ』『しつこく わるい食べもの』『さんかく』など。
Follow Us

What's New

  • 最注目の歌舞伎俳優・尾上右近 「春興鏡獅子への熱き道のり」【衣裳編】

    尾上右近さんが歌舞伎俳優を目指すきっかけとなった「春興鏡獅子」。三才で夢見たその景色が、2025年4月の歌舞伎座で現実のものとなる。DREAMS COME TURE。後々、「尾上右近の鏡獅子の初演を観た」と語り草になるに違いない伝説の始まりの舞台。その熱量を「形にできるものは形にしたい」と、大事な小道具のひとつ、手獅子をあらたに自分のために作り、弥生役の衣裳も新しく作ることに。右近さんが求めたのはどんな手獅子なのか。そして衣裳の仕上がりは? ここでは松竹衣裳部にお邪魔し、その衣裳制作の最終段階を見せてもらった。

    カルチャー

    2025年3月31日

  • 文体はクリスタルのよう、その純粋さは輝き(エクラ)をもたらすーLe style est comme le cristal, sa pureté fait son éclat. 【フランスの美しい言葉 vol.9】

    読むだけで心が軽くなったり、気分がアガったり、ハッとさせられたり。そんな美しいフランスの言葉を毎週月曜日にお届けします。ページ下の音声ボタンをクリックして、ぜひ一緒にフランス語を声に出してみて。

    カルチャー

    2025年3月31日

  • 最注目の歌舞伎俳優・尾上右近「春興鏡獅子への熱き道のり」【手獅子・後編】

    尾上右近さんが歌舞伎俳優を目指すきっかけとなった「春興鏡獅子」。三才で夢見たその景色が、2025年4月の歌舞伎座で現実のものとなる。DREAMS COME TURE。後々「尾上右近の鏡獅子の初演を観た」と語り草になるに違いない伝説の始まりの舞台。その熱量を「形にできるものは形にしたい」と、大事な小道具のひとつ、手獅子をあらたに自分のために作り、演じる弥生の衣裳も新しく作ることに。右近さんが求めたのはどんな手獅子なのか。そして衣裳の仕上がりは? 後編は、いよいよ右近さんが制作途中の手獅子と対面!

    カルチャー

    2025年3月30日

  • 最注目の歌舞伎俳優・尾上右近 「春興鏡獅子への熱き道のり」【手獅子・前編】~この手獅子を観るためだけに行く価値あり!~

    尾上右近さんが歌舞伎俳優を目指すきっかけとなった「春興鏡獅子」(しゅんきょうかがみじし)。三才で夢見たその景色が、2025年4月の歌舞伎座で現実のものとなる。DREAMS COME TURE。後々、”尾上右近の鏡獅子の初演を観た”と語り草になるに違いない伝説の始まりの舞台。その熱量を「形にできるものは形にしたい」と、大事な小道具のひとつ、手獅子をあらたに自分のために作り、弥生役の衣裳も新しく作ることに。右近さんが求めたのはどんな手獅子なのか。そして衣裳の仕上がりは? まずは手獅子が作られた過程に密着する。

    カルチャー

    2025年3月29日

  • 【雨宮塔子 大人を刺激するパリの今】パリで人気のヴィンテージショップ『THANX GOD I ’M A V.I.P.』へ

    雨宮塔子さんによる連載「大人を刺激するパリの今」。11回目のテーマは「ヴィンテージショップ」。パリのヴィンテージショップの中でも特に人気を集めているお店を紹介。

    カルチャー

    2025年3月29日

Feature
Ranking
Follow Us