料理家・有元葉子さんインタビュー「いい匂いのするほうへ、歩くんです」

集英社創業100周年を迎える今年、時代を彩ってきた女性たちに特別インタビューを敢行。第1回目はéclat 創刊宣言号から出演しつづけ今もさらなる輝きを放つ料理家・有元葉子さん。彼女が自分らしく生きることで得た「宝物」について語ってもらった。

昨日も、年下の友人たちとの女子会だったんです

有元葉子さん

ライティングされた撮影スタジオで、パシャパシャとシャッター音を浴びることなどめったになさそうなのに、有元葉子さんは緊張した様子もなく、いつものエプロン姿で自然に立ち、自然に微笑む。その姿が圧倒的に美しい。

どうしたら、そんな人になれるのか。すぐには答えが出そうもない問いかけを、少し“見えやすい”かたちにしてみる。人生で手に入れた宝物はなんですか? 有元さんは「むずかしい質問ですね」といってから割とすぐに答えをくれた。

「人、だと思う。自分とかかわりをもってくださっている人。長いお付き合いの人たちね。そういう人がいっぱいいるんです。ちょうど昨日も女子会をしていたんだけれど……」。

思いがけないワードが出たので、女子会をなさるんですかと聞くと、「よくやりますよ」。

「いくつかのグループがあって、昨日集まったのは60代前後かな、私よりも年下の女性たち。いろいろな分野で活躍している彼女たちとおしゃべりしていると楽しいの。知らない世界を教えてくれるし、逆に『へえ、そういう考え方もあるのね』って目を開いてもくれる。私より年長のかたがリーダーの女子会もあるんです。その人は最初に私の本を作ってくれた元編集者で、それこそ40年近いお付き合い。頭脳明晰で、すごくアクティブで、年下の私たちがいつも、彼女に叱咤激励されているんです。だから年齢じゃないわね。年齢関係なく、がんばっている女性たちと会うことで、自分も元気になれるんだと思う」

ヴァンヂャケット入社から、ファッション誌の編集者に

有元さんは千葉県市川市生まれ。父は、陶芸家の浜田庄司などとも交流のあった趣味人で、母はどじょうを自分でさばくほどの料理の腕前だった。

「5人きょうだいの末娘で、私は父が50代のときの子。孫のような年齢差ですから、両親にはのんびりと育てられました。そのぶん、18歳上の姉が私の教育係でうるさくて。着るものから進路からピアノのお稽古の時間まで、何から何まで姉が仕切っていました。当時はそれがいやでいやでしかたがなかった。通っていた都内の私立高校は、歴史の古い女子大とつながっていて、そういう決まったコースを歩まされそうになったので『もう、絶対にいや!』と。姉への反抗心から、デザインやインテリアを学ぶ学校へ行ったんです」

その学校の課題で、有元さんは当時アイビーファッションで一世を風靡(ふうび)したメーカー、VAN(ヴァンヂャケット)をレポートに取り上げた。

「製品、広告、店の内装などを含めた企業イメージに惹かれて、おもしろい会社だと思いました。それである日、電話をかけたんです。『そちらで働いてみたいんですけれど』って。そうしたら、たまたま電話をとったのが、創業者の石津謙介さんの息子さんで『明日からどうぞ』と。入社が即決まってしまいました。ヴァンヂャケットは、毎日行くのが楽しくて楽しくて。あんなに楽しい会社は、過去にも未来にもありえないと思うくらい。とにかく遊べ、遊ばないといい仕事はできない、といわれました」

どういう遊びをするのでしょう?

「仕事が終わる時間になっても、とにかく誰も帰ろうとしない。そこから、どこかに繰り出したりするんです。パーティもしょっちゅうやってましたね。それも食べて飲んで、というだけじゃないの。のちに服飾評論家になるくろすとしゆきさんが先輩にいましたが、彼が完璧なディーラーの格好をして、みんなでポーカーゲームをやったりするわけです。なんでも本格的にやる。そういう服がなければ、作るところからやる。なにしろファッションブランドですから」

そうこうするうちに、会社と親密だった男性雑誌『メンズクラブ』が女性向けのページを作ることになり、有元さんがその担当に任命された。

「毎日出版社へ出勤して、夜遅くまでファッション小物の撮影などをしました。編集なんて初めての経験ですが、『Seventeen』などの欧米の雑誌が大好きで、気に入ったページをコラージュしたスクラップブックを持っていたぐらいで。雑誌の仕事にものめり込んで一生懸命やりました」

有元さんの作ったページが好評につき、今度は一冊丸ごとの女性ファッション誌『mc Sister』が創刊されて、すべてを任されることに。

「出版社がアシスタントを1名つけてくれましたが、雑誌一冊をほとんどひとりで作っていた感じです。後書きも自分で書いていました。創刊から5号目ぐらいまで作ったかな。今でも大切に持っていますよ」

創刊からひとりで編集を手がけ、誌面に登場したことも。(『mc Sister』〈ハースト婦人画報社〉’66年2号より)

創刊からひとりで編集を手がけ、誌面に登場したことも。
(『mc Sister』〈ハースト婦人画報社〉’66年2号より)

料理家になったきっかけは……

意外なことだが、結婚して家庭に入るまで、有元さんは料理をしたことがなかったという。

「ところが、3人の娘を育てる専業主婦になってみると、家事の中でものを作る仕事は料理です。それで料理のおもしろさに気づいて、いろいろ作るようになりました。子供たちが小さいころは、うちに料理の先生に教えに来ていただいたりも。子供たちが成長して出かけられるようになると、西洋料理や中国料理、お菓子のお教室にも通いました」

当時住んでいた家の向かいに、有元さんの友人でもある音楽家が住んでいた。ある日、そのお宅で雑誌の料理取材が行われていて、盛りつけ用の器が足りず、スタイリストの千葉美枝子さんが有元家に借りにきた。このときに有元さんの食器棚を見て、「このかたはきっと素敵なお料理を作るに違いない」と思った千葉さんが、雑誌『LEE』の料理ページに有元さんを推薦。これが料理家になるきっかけとなった。

「千葉さんとはそれ以来、40年以上のお付き合い。彼女も仕事仲間であると同時に、大切な友人のひとりです」。

最初は”料理上手な主婦”として誌面に登場した有元さんだったが、料理、盛りつけや器、インテリアのセンスが卓越していた。瞬く間に、さまざまな仕事の依頼が舞い込むようになる。

「子供を育てるためにも、けっこうハードに働きました。朝の5時にラムを焼いたりしていて、『私、何やってるんだろう』と思ったことも。でも、なんでもそうなんですけれど、”できない”ですませるのが私は嫌いなのね。むずかしいと思ったら、できるように工夫すればいい。

例えば小学生だった子供が、家でお誕生日会をしたいといい出したとき、特定のお友だちだけを呼ぶというのが違和感があったので、『やるならクラス全員を招きなさい』といったんです。それで40人が来ることになって。40人分の子供の料理を作るのは初めてでしたが、そこから、さてどうしよう、と考えるのがおもしろいわけ。“パテは作って冷凍しておけるから、みんなが好きなハンバーガーにしようかな。天板に生地を流せば、大きなスポンジが何枚も焼けるから、間にクリームとイチゴをはさんで大きなショートケーキを作ろう。飲み物は色とりどりの果物をカットして大きなガラスの器に入れ、サイダーを注いでフルーツポンチに。子供たちが自分で自由におかわりできると楽しいわね”って。こんなふうにいろいろ考えて、工夫するのがおもしろいんです。

友人の音楽家のコンサート後の数十人の打ち上げパーティのため、予算1万円で30人分の軽食を用意する、みたいなこともやりましたよ。“できない”を“できる”にするのがおもしろい。料理の仕事もそう。どんなリクエストがきても、そのときの自分がもっている力を全部100%以上出しきってる。それだけです。全部100%以上出しきらないと、次の力ってわいてこないんですよね」

料理家として活動しはじめた時代。(『LEE』’95年11
月号料理特集より) 撮影/星野達郎

料理家として活動しはじめた時代。
(『LEE』’95年11月号料理特集より) 撮影/星野達郎

頭で考えないでいい匂いのするほうへ

料理家としての仕事がスタートしたのは40代後半から。すぐにキッチン道具『ラ・バーゼ』シリーズのプロデュースも始めている。イタリア中部に家を購入したのは50代……。人生の折り返し地点とされる年代から、初めてのことにトライしつづけてきた。

どんな分野でもレジェンドが歩むのは、先例という光のない真っ暗闇の世界だ。その中で有元さんは、進むべき道をどうやって探ってきたのだろう?

「いい匂いのするほうへ。鼻をきかせて、ぷんぷんかいで、いい匂いのするほうへ行くんです」

旅先の初めての街で、おいしい食堂をかぎ当てるときのように?

「そう! 私はいつもそうなの。ガイドブックやミシュランガイドには頼らず、自分のカンでおいしい店を探すんです。情報よりも自分の感覚を信じる。頭で考えないで、五感で感じ取る。頭であれこれ考えたら、とてもじゃないけれど、イタリアの城壁の街の14世紀に建てられた古い家を買ったりはできないです。考えないから、いろいろなことができる。もちろん、いざ始まってみると、面倒なことや大変なことがたくさん出てくるけれど、それを“大変!”と思わない。“さて、どうしようかな”とおもしろがって考える。そんなふうに、私はずっと生きてきたんです」

実は’07年の『éclat』創刊宣言号から、ずっと誌面に登場しているのは、有元葉子さんただひとり。長い間、ずっと魅力を絶やさずに、ビビッドな食の提案をしている人なのだ。表現者としての有元さんは、“新しくあること”をどうとらえているのだろう?

「あんまり新しいとか古いとか考えてないです。飽きる、ってよくいうけれど、そんな……80年、100年なんてあっという間なんですから。地球や人類の歴史で見たら、私たちが生きる80年、100年なんて、まばたきの間ぐらいのこと。そんな短い時間の中で、新しいも古いもないでしょう、と思う。それに、新しいといわれるものを見ても、別に新しいと思わないんですね。例えばおむすびを入れるパッケージにしても、プラスチック製の便利なものと、昔ながらの竹の皮を見たときに、どっちが素敵かといえば、断然竹の皮のほうだったりする。見た目も美しいし、殺菌効果や通気性にも優れているし。新しいとされるものよりも、昔からあって、ずっと残っているものにこそ、永遠の新しさを感じます」

ずっと残っているものには、時代を超えた力がある──。

「道具も、器もそうよね、ものだけじゃなくて、人もそう。最初の話に戻るけれど、長いお付き合いの人がいるって、本当に素敵なことです。

キッチン道具のプロデュースをしていますが、一緒にものづくりをしている職人さんにも30年以上のお付き合いになるかたがいます。あるいは息子さんが後を継いで、2世代での長いお付き合いになったり。商品開発をするとき、私はみんなが豊かにならないと、ものを作る意味がないと思っているんです。買って使う人はもちろん、作る側、売る側の人たちの働く環境も豊かであること。そうでないと、長く使えるいいものは作れないし、人間関係もここまで長続きしないと思う。ビジネスっておもしろいもので、そうしたいい人間関係の中で作られたものは評価される。お金は後からついてくる。

ほかの仕事も全部そうです。友だち付き合いもそう。みんなにとって心地よい関係が築けて初めて、自分も気持ちよくいられるんです。だから自分がどうありたいかよりも、まわり。まわりを見ること。まわりのみんなが気持ちよい状態でいるかどうか。みんなが健やかで、精一杯に生きていてくれるから、長いお付き合いができているわけで。そういう人たちって、財産じゃない? 宝物ですよ。ここまで年齢を重ねたからこそ、私には宝物がたくさんあるんです」

イタリア・ウンブリアの隣に住む母娘と(『éclat』’07
年11月号ウンブリア特集より) 撮影/木村金太

イタリア・ウンブリアの隣に住む母娘と
(『éclat』’07年11月号ウンブリア特集より) 撮影/木村金太

Question :人生で手に入れた宝物はなんですか?

Answer :人とのつながり。長いお付き合いの人たちです。

有元葉子さん

Information

集英社創業100周年記念
『おしゃれするのは誰のため?展』
ファッション雑誌が映し出す時代とジェンダー

集英社創業100周年記念『おしゃれするのは誰のため?展』
ファッション雑誌が映し出す時代とジェンダー
会期:’26年12月11日(金)~’27年1月11日(月・祝)
開館時間:11:00〜20:00(予定)
会場:ヒカリエホール
住所:東京都渋谷区渋谷2 の21 の1 渋谷ヒカリエ 9F
入場無料
公式サイト:https://100th-exhibition.shueisha.co.jp/

撮影/伊藤彰紀(aosora) ヘア&メイク/松本 恵 取材・原文/白江亜古 ※エクラ2026年11月号掲載

合わせて読みたい

【有元葉子さんのおもてなしレシピ】「魚介のカナッペ」&「ラムの香草ロースト」楽しく、気軽に集まる日もこの2皿で!
【有元葉子 私の夏の珈琲時間】赤ワインのようなナチュラルコーヒーをチョコレートやくるみと
【春のピッツァ&フォカッチャまとめ】旬食材も豊富!一度食べたら忘れられない「有元葉子さんのレシピ」
おもてなし肉料理の定番「イタリア風ローストビーフ」でテーブル華やぐ【有元葉子さん直伝・肉名人への道】
残り物のシャンパーニュで作る「リゾット&アクアパッツァ」のレシピ【有元葉子さんのシャンパーニュとこの一皿】

ranking

what's new

pick up

recommend

feature

recommend

人気のヘルスケア記事がWebエクラにお引越し! ウェルビーエクラSTART! eclat Gourmet&Voyage eclat Maison
秋から真冬まで活躍。「RED CARD TOKYO×eclat」人気デニム着回し6LOOK 売れ筋ランキング 今が変えどき!秋の新戦力アイテム エディター 坪田あさみさんコラボ 秋の新戦力に、ネックレスと、スカーフ