話題の直木賞作品! 100年前の女給たちの姿を描く『カフェーの帰り道』【斎藤美奈子のオトナの文藝部】

文芸評論家・斎藤美奈子さんが、嶋津 輝の『カフェーの帰り道』を紹介。「駐車場のねこ」や幸田 文の「流れる」もあわせて読みたい。

嶋津 輝の『カフェーの帰り道』

『カフェーの帰り道』

嶋津 輝
東京創元社 ¥1,870
戦前戦中の女給たちを描いた’25年下半期の直木賞受賞作。関東大震災の2年後から始まり、日中開戦、日米開戦を経て敗戦、そして昭和25年まで。少しずつ動いていく時代を背景に、連作の後半では28歳で京橋のカフェーに引き抜かれたタイ子や、35歳でカフェー西行に戻ってきたセイのその後が描かれる。東京大空襲で上野一帯は焼けたが、カフェー西行は戦後「純喫茶西行」として再出発したという設定にほっとさせられる。

100年前の女給たちの姿を描く、話題の今期直木賞受賞作

今日「カフェ」といったら、コーヒーなどの飲料や軽食を出す、ちょっとオシャレな店のこと。だが100年前の「カフェー」は、女給(女の給仕)がいる飲食店のことだった。林芙美子も佐多稲子も宇野千代も、一時カフェーで働いていたことがある。

今期直木賞受賞作、嶋津輝『カフェーの帰り道』はそんなかつてのカフェーを舞台にした連作短編集である。時は大正末期から昭和20年代まで。東京・上野のはずれにある「カフェー西行」で働く個性的な女性たちが物語の主人公だ。

澤井タイ子は竹久夢二の絵から抜け出たような細面の美女。3年前に夫を亡くし、4歳の息子を育てるために女給になった。アラサーの子持ちで、しかも文字が読めないタイ子を雇ってくれるカフェーは場末の西行くらいしかなかったのだ。しかし彼女は店の客の女学校教師に読み書きを教わり、さらに夢二の絵にそっくりという容姿が目にとまって京橋のカフェーにスカウトされる。ちょっとしたシンデレラ・ストーリーである。

タイ子の少しあとに入ったのが女学校出で作家志望の古賀セイである。〈女給をやってたのはね、小説を書くのに役に立つと思ってたからなの。カフェーにいればいろんな人に会うし、題材にも事欠かないでしょ?〉。だが同人誌にいくら書いても相手にされず、〈文学は諦めようかと思って〉一度は店をやめて事務員に転職したが、10年後、家計を支える必要が生じて舞い戻ってきた。いわば林芙美子になれなかった女性である。

そんなふたりを適度な距離から見守る美登里は店一番の古株だが、虚言癖があるのが玉にキズ。だがそこに美登里を上回る虚言の女王が現れて……。

ここまでの段階だと、なぜ今こんなレトロな小説が直木賞?と思わないでもない。しかしこのあと、時代は戦時に突入し、カフェーにも影響は及んで、物語は思わぬ方向に動いていくのだ。

女給が割烹着姿で国防婦人会の集会に参加したり、西行の制服がフリルつきのエプロンから質素な前かけにかわったり。さらに時代を下ると、20歳になったタイ子の息子・豪一に赤紙がきて、タイ子は女給時代に習い覚えたおぼつかない筆でせっせと戦地の息子に手紙を書く。

嶋津輝が描く人物は10年前のデビュー作「姉といもうと」のころから、一見平凡な人生を歩んでいるようで、その実「どこか天然」「どこか傑物」な人ぞろいだった。カフェー西行のタイ子もセイも、そして美登里もそのタイプ。

〈美登里は、幼いときから、自分や自分を取り巻く世界が平凡であることをわかっていた。ぱっとしない真実よりも、作り話のほうが面白いと思っていた美登里にとって、噓は遊びの一つだった〉

こういう人こそ小説家になればよかったのに! カフェーを起点に世情を定点観測した物語。モダンガール未満の名もなき女性たちがすがすがしい。

あわせて読みたい!

『駐車場のねこ』

『 駐車場のねこ 』

嶋津 輝
文春文庫 ¥847
’16年のオール讀物新人賞を受賞したデビュー作「姉といもうと」を含む初期作品7編を集めた短編集。「姉といもうと」の主人公は幸田文の小説『流れる』に憧れて、家事が好きでも得意でもないのに家政婦になったという女性。作者は’69年生まれ。40代後半でのデビューだった。

『流れる』

『流れる』

幸田 文
新潮文庫 ¥737
主人公はカフェーの女給ならぬ没落しかけた芸者置屋の住み込み女中になった40代女性。作者の経験を生かして小説化された’56年の作品で、往年のテレビドラマ『家政婦は見た!』よろしく、花柳界の裏側を鋭い観察眼で見続ける視線がおもしろい。田中絹代主演の映画もヒットした。

文芸評論家・斎藤美奈子
さいとう みなこ●文芸評論家。編集者を経て’94年『妊娠小説』でデビュー。その後、新聞や雑誌での文芸評論や書評などを執筆。『出世と恋愛』『あなたの代わりに読みました』『ラスト1行でわかる名作300選』ほか著書多数。近著に『絶望はしてません ポスト安倍時代を読む』(筑摩書房)。

photography:Maho Kurakata ※エクラ2026年5月号掲載

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