個性的な作品を書いてきた松浦理英子が、還暦をすぎて発表したのが『今度は異性愛』。63歳のアマチュアBL小説作家が主人公。異性愛小説の創作日記の形式の物語になっており、作家のバックステージを想像させるおもしろさがある。
『今度は異性愛』
松浦理英子
新潮社 ¥1,980
独身でひとり暮らし。幼いころは自分を男だと思っていたという祐子。無理に女の子らしくしなくていいと思って育った結果、女らしくも男っぽくもない大人になった。定年を迎え、コロナ禍で外出も制限される中、思いついたのは異性愛を描くことだった。作家のバックステージを想像させる小説としてもおもしろく、日記形式の物語終盤には、祐子が書いた作品の一部も掲載されている。
ジェンダーやマイノリティを繊細なまなざしで見つめる
寡作ながら一作一作、きわだって個性的な作品を書いてきた松浦理英子。還暦をすぎて彼女が発表した『今度は異性愛』は、コロナ禍の’21年8月から’22年8月までの約1年をつづった日記形式の作品だった。
主人公は63歳の「私」こと宮内祐子。40代の数年間は仲宮ゆうのペンネームでインターネット上にボーイズラブ(BL)小説を発表するアマチュア作家で、それなりに読者もついていた。50代以降は創作から遠ざかっていたが、定年退職し、コロナ禍で外出もしなくなったある日、再び創作意欲に火がつく。
〈今度は異性愛。標語のようにそうことばを並べてみると、いちだんと活力がみなぎって来た。還暦を過ぎて新しいことを始めるのは何と心躍ることだろう〉
今度の筆名は水折優衣(みずおりゆうい)。男女間の性愛は書いたことがなかったが〈実生活では一応異性愛者として生きて来たから、男女にまつわる素材は私の中にもある程度は蓄積されているはずだった〉。
というわけで日記には、浮かんでは消える小説の構想と、脈絡のない妄想と、過去の回想とが絶妙にミックスされたかたちで登場する。で、それがいちいち微妙にぶっ飛んでいるのである。
最初に浮かんだ小説の構想は、かつて男性同士の物語として書いた作品のアレンジだった。20年余りの時を経て、老人介護施設で入居者と介護士として再会したふたり。年上の入居者は70代、介護士は50代。年下の介護士を捨てた過去がある入居者は、彼の恨みを買っているのではないかとおびえている。〈これを男女物として書いて介護士の方を女性にすれば、男性同士の場合ほど苛酷な因縁をつくらなくてもリアリティも人物の魅力も作品の迫力も充分に出せそうだ〉。そんな作品があったら読んでみたいけど、でも舞台が介護施設なんだ。
回想ゾーンで印象的なのは、館林厚樹(たてばやしあつき)との思い出だ。彼は近県で農業を営む青年で、合コンで出会った際、20代半ばの祐子が着ていた黄色と黒のボーダーのTシャツを見て〈「スズメバチみたいで怖い」と言って微笑んだ〉。以後、上京のたびにアパートに来るようになったが、1年半ほどあとに連絡が途絶えた。不安になって家に電話をすると、母親に厚樹は死んだと知らされた。〈農作業中にスズメバチに刺され強いアレルギー症状を起こしたのだと説明してくれた〉。
これだけで十分、短編小説になりそうな内容。とはいえ彼女が厚樹を思い出したのはインターネットでミツバチの記事を読み、ミツバチを主人公に書けないかと考えたためだった。ううむ。
全体に通底するのは、ジェンダーやマイノリティに対する繊細なまなざし。そして老いを衰退ではなく変化と受け止めるフラットな精神だ。〈一人でいるのがいちばん安らぐ〉と語る女性のすばらしく自由な精神生活。一定の年齢に達してこそ堪能できる世界かもしれない。
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『最愛の子ども』
松浦理英子
文春文庫 ¥803
老境から一転、こちらの主役は3人の高校2年生。舞原日夏(まいばらひなつ)は「パパ」、今里真汐(いまざとましお)は「ママ」、薬井空穂(くすいうつほ)は「王子」に見立てられるが、この疑似ファミリーは語り手であるクラスメイトの「わたしたち」の妄想が生み出したもの。語り手と3人の距離感が心地よい’17年の泉鏡花文学賞受賞作。
『美しい彼』
凪良ゆう
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文芸評論家・斎藤美奈子
さいとう みなこ●文芸評論家。編集者を経て’94年『妊娠小説』でデビュー。その後、新聞や雑誌での文芸評論や書評などを執筆。『出世と恋愛』『あなたの代わりに読みました』『ラスト1行でわかる名作300選』ほか著書多数。近著に『絶望はしてません ポスト安倍時代を読む』(筑摩書房)。
photography:Maho Kurakata ※エクラ2026年9月号掲載