華やかさを日常に。
ファッションの力でマインドを整える♪MEGUMIです。
生誕100年
森英恵 ヴァイタル・タイプ
会期は終了してしまいましたが、今もなお心に残る、美しい時間でした。
私が最も心を動かされたのは、美しいオートクチュールだけではありませんでした。
新宿の小さなお店から世界へ羽ばたいた、一人の女性の挑戦の物語でした。
原点の新宿のブティック「ひよしや」
1951年、森英恵さんは新宿にブティック「ひよしや」をオープンします。
戦後間もない時代。ひとりの女性が子育てをしながら、自分の力で道を切り拓くことは、今よりずっと大きな挑戦だったはずです。
これは店舗でファッションショーの様子。
展示を一つひとつ眺めていると、ふと亡き母の若い頃の姿が浮かんできました。
森英恵さんが生み出した華やかな世界を見ながら、母が大切にしていた洋服や、当時のファッションを楽しみながら生徒たちと写る集合写真の姿を思い出していました。
学校で働いていた母は、いつも身だしなみに気を配る人でした。
「学校では“山本リンダ先生”って呼ばれていたのよ」
そう言って、少し得意げに、そして嬉しそうに話していた母の表情を思い出すと、今でも思わず笑みがこぼれます。
鮮やかな色やミニスカート、女性らしい装いを楽しみ、自分らしく輝いていた母。
きっと母にとってもファッションは、ただ着飾るものではなく、自分自身を表現し、毎日を楽しむための大切なものだったのだと思います。
森英恵さんの転機となったのは、映画衣装との出会いでした。
当時、日活のプロデューサーの目に留まったのが、新宿にあった森英恵さんのお店「ひよしや」さん。
「ひよしやに行けば、素敵なものがある」
そう評判になるほど、そこには既成の洋服にはない、美しさと夢のあるデザインが並んでいたとのこと。
その才能が認められ、映画衣装を手がけるようになった森英恵さんは、次々と女優たちの魅力を引き立てる衣装を生み出していきます。
スクリーンを彩る華やかな衣装は、多くの人の心を惹きつけ、やがて森英恵さんの名前を日本中へ、そして世界へと広げていく大きな一歩となったようです。
一歩足を踏み入れると、そこには圧巻の世界が広がっていました。
日本の伝統美を取り入れながらも、決して古典にとどまることなく、新しい女性像を表現した森英恵さん。
世界でまだ「日本製品」への評価が十分に高くなかった時代に、「日本のものづくりは、決してそんなものではない」という強い信念を胸に、自らの美意識を貫きながら世界へ挑戦していかれたそうです。
日本らしい繊細な感性と、時代を先取りする自由な発想。その両方を融合させた作品の数々からは、森英恵さんの揺るぎない情熱と、日本の美を世界へ届けたいという想いが感じられました。
一歩足を踏み入れると、そこには息をのむような美しい世界が広がっていました。
ブランドを象徴する蝶には「自由に世界へ羽ばたく」という願いが、花々には故郷・島根の自然への愛情や、日本ならではの四季の美しさへの敬意が込められているそうです。
JALの制服✨
シンプルなのに凛としていて
品があるのにどこか可愛さもあります。
森英恵さんが生み出した美しさは、時代が変わっても色あせることなく、今を生きる私たちにも多くの感動を与えてくれます。
50代になった今だからこそ感じられる、装うことの楽しさや、自分らしく美しくありたいという気持ち。
これからもファッションを通して、日々の暮らしに小さなときめきを届けていきたいと改めて思いました。
この日のコーディネートは、トップスはGU、スカートはIENA。
素晴らしい展示で、気がついたら4時間が。
そして改めて心に残ったこと。
それは、森英恵さんがどのようにブランドを立ち上げ、まだ日本のファッションが、世界に届いていなかった時代に、自らの美意識を信じて一歩ずつ形にしていったこと。
日本の感性を軸にしながらも、
世界へと広げていったその歩みは気づけば「Hanae Mori」という名が世界のブランドとして
認められていく、そんな物語でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
森英恵さんが大切にされてきた「美しく装うことの楽しさ」は、時代や年齢を超えて、今を生きる私たちの心にも響くものだと感じました。
展示は終わってしまいましたが、作品から伝わる美しさやエネルギーを感じてみてくださいね。
これからも日々の暮らしの中で見つけた、ときめくものや心豊かになる時間を皆さまと共有していけたら嬉しいです。
皆さまの毎日に、小さなときめきが増えますように。