エクラの美容記事でもおなじみのライター・山崎敦子がお届けする韓流ドラマナビ。今回は、名脚本家パク・ヘヨンの話題作『誰だって無価値な自分と闘っている』をご紹介。
人間ドラマの名手、脚本家パク・ヘヨンが描く再生の物語『誰だって無価値な自分と闘っている』
主演のク・ギョファン Netflixシリーズ「誰だって無価値な自分と闘っている」独占配信中
「誰だって無価値な自分と闘っている」……。まずは、このタイトルです。初めてその響きを耳にしたときに、目からポロポロとウロコが剥がれ落ちていくのを感じたのですが、みなさんはどうですか。
そもそも“無能”でなくて“無価値”なのですよね。同じようでいて全く異なるワードのチョイスに、すでにやられてしまう私ではありますが、脚本は『私の解放日誌』('22年)のパク・ヘヨン。郊外の小さな町から1時間半かけてソウルに通う3人きょうだいの、鬱々と閉塞感のある日常と、そこからの解放を小説のように描き出していく『私の解放日誌』。“私をあがめて”というセリフの衝撃と、物語に込められたその深い意味、そして、ラストの確かな希望への余韻。今、思い返してもしみじみと染みてくる傑作でしたが、この3きょうだいの、そして私の、いつの間にか心を占めてしまう日々の鬱屈した思いは、きっと無価値な自分と闘っていたからなのかもしれない……と、思った次第でもあります。
映画業界を舞台に繰り広げられる人間模様
で、この作品。タイトル通り、出てくる登場人物のすべてはもちろん“無価値な自分”と闘っております。まず、主人公のファン・ドンマン(演じるのはク・ギョファン)。映画監督を夢見て20年、書いた脚本は14本にもおよぶのに、40代になった今もいまだに監督になれずにアルバイトで食いつなぐ日々を送っています。大学時代に結成した「8人会」のメンバーたちはすでにみんなデビューしていて、夜な夜な「アジト」という店に集まってくるのですが、ドンマンはそんな彼らのつくった作品を学生サークルのノリで容赦なく酷評しまくるのです。
その毒舌は観ている私でさえ鬱陶しく感じちゃうほど、次から次へととめどなく溢れ出てくるのですが、自分の中に湧き上がってくる本音でしか攻撃しない彼のこき下ろしは、どうやら的を射ているらしく、メンバーからはそれ故に、より激しく疎まれているようなのですね。同じ土俵にあがってもないくせに、ということらしい、つまりは。それを知ってか知らずか、でも、止まらないドンマン。それは、何者にもなっていない自分の劣等感や嫉妬をごまかすためのようでもあり、反対に鼓舞するためのようでもあり、かなり小うるさいのではありますが、そうやってしゃべりまくることが自分の存在証明でもあるわけなのですね、彼にとっては。でもって、銃弾に倒れたロシア兵士が着ていたという重い革のコートに身を包み、今日も迷惑がられているとは重々承知のうえ、自分の存在を証明するため(つまりはしゃべりまくるため)決死の思いで「アジト」へと出向くのです。
子供のように純粋で憎めないところもあるのですが、言ってしまえばドンマンはかなりウザいダメ男。ところが、彼の存在としゃべくりを、癒しと感じる女性が現れるのです。映画会社のPDピョン・ウナ(コ・ユンジョン)。送られてくる脚本への批評鋭く、“斧”とあだ名されるほどなのですが、そんなウナの眼識を認めていた社長(チェ・ウォニョン)は、監督たちが彼女ばかりを頼りにする嫉妬からか、ウナが自分に迎合せずに愛想もよくないからなのか、最近はロクな仕事も与えず、いびり倒しているのですね。社員たちもそんな社長に追随していて、つまりウナは社内で孤立無援。別れた元恋人はウナと共著した脚本を自分の名だけで応募し受賞、共著の事実はしゃべるなと脅してくるし……。
そんなウナは、ある瞬間になると鼻血が止まらなくなります。それは、心が追い詰められた時。その時の感情はウナ曰く「自爆したい感じ」。9歳の時に自分を捨てて出て行った母の記憶が今でもトラウマとなっているウナ。それは自分が否定されたという思いにつながるようで、つまりは、ウナもまた、無価値な自分をどうすることもできないでいるわけなのです。
Netflixシリーズ「誰だって無価値な自分と闘っている」独占配信中
時が止まったままのドンマンとウナは、互いに言葉を交わし合っていく中で、少しずつ動き出していくのですね、感情も行動も。2人がどう変わっていくのか、どう前に進んでいくのか。ドラマは、小説以上に饒舌に言葉を溢れさせながら2人を描いてくのですが、興味深いのは、2人をつなぐツールとして“感情ウォッチ”を使っている点。腕時計のようなそのツールは、時々の感情を表す言葉を画面に表示する最新鋭の機器(アップ●ウォッチにも似たような機能が備わっているみたいなのですが、その進化版AIツールな感じ)。今、生まれた感情は、「楽しい」のか「安心」なのか「悲しい」のか「恐怖」なのか。
おもしろいことにその画面の言葉を見ることで、2人は今の自分の気持ちをあらためて確認し、自分を理解していくのです。例えば、ドンマン。彼は人を攻撃しながらも、自分が破壊的な男なのかもしれないという不安も抱えています。というのも、以前、交通事故を目撃した彼は、何よりも先にときめきという感情が湧きあがった記憶があるからなのです。そんなドンマンは事故に巻き込まれそうになったウナに遭遇するのですが、その時に“感情ウォッチ”が示した言葉は「驚き」「動揺」「心配」。彼は自分が破壊的な男ではなかった、ケムル(怪物)ではなかったと安堵し喜ぶのですね。いつだって、感情は自分自身でも計り知れないもの。だから、迷路に迷い込んだように自分を理解できずに、悩み苦しむことも少なくないのかもしれません。言葉だってあやふやです。何が「喜び」なのか、何が「不安」なのか。そもそも“無価値な自分”だって、どこから生まれるのか、その芯にあるものは何なのか、わからないまま闘って、傷ついて、そして、疲れていく……。
それぞれに何かを抱えている彼らはどう解き放たれるのか……
「8人会」のメンバーで人気監督となったパク・ギョンセ(オ・ジョンセ)もまた、闘っている1人。学生時代はドンマンとベッタリの親友だったのに、今では一番の犬猿の仲なのですね。ロマンチストでせせこましくも人間味あるキャラなのですが、デビュー作が大ヒットした後は、納得した作品を作れず、最新作は大コケ。それによって精神的にも追い詰められており、人気監督になったが故のプレッシャーと数多の雑念で、純粋に作品に向き合えない自分を重々わかりながら、どうにもならないジレンマを抱えている。そこに、ズカズカと無神経に入ってくるドンマンが気に障ってならない。俺は人気監督、お前は監督ですらない。なのに、そのデカイ態度と、お前のこき下ろしは胸をやたらとキリキリとついてくる……。
ドンマンの兄ジンマン(パク・へジュン)は、詩人として高い評価を受けながら、今は溶接工として働いています。離婚とともに生まれたばかりの娘とも別れ、その消息さえもわからない。娘はいなくなったのに、詩人として高揚する自分。それを許すことができない彼は、仕事から帰ると酒を飲まずにいられず、時々、湧きあがる自殺衝動を抑えることができなくなってしまうのです。
ギョンセの大コケ作品で片腕を失ったヒロインを演じた俳優のチャン・ミラン(ハン・ソナ)は、その腕が撮影の終わった今も痛いと訴えます。共演した俳優にも本気で惚れてしまうミラン。明るく本能のまま生きているようなチャーミングなミランですが、現実と役の区別がいつもつかなくなってしまうほど、“演技ができない”自分に彼女もまたもがいているようなのです。
ということで、それぞれに何かを抱えている彼らは、どうやって、解き放たれていくのか。そのキーとなるのが“人”。彼らは人の言葉や感情によって傷つき、そして人の言葉や感情によって動かされていく。ドラマはそうして、また立ち上がっていく登場人物たちのありようを膨大なセリフとともに映し出していくのですが、人はストレスにもなるけれど、でも、他に代えることのできない力になるのだなあと、あらためて。私的には、物語の佳境で発せられるギョンセの妻コ・ヘジン(カン・マルグム)の啖呵に泣かされたのですが、さて、みなさまは? ドラマ終盤、ドンマンはやっと監督になります。そのデビュー作の試写を観終わった登場人物たちそれぞれの表情が、今もなお心に残ります。
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