自分の代で家を終わりにする。先祖代々受け継いできたお墓を閉じる。大人世代の多くが直面する家族や相続の課題に、少し特別な立場で臨んでいる人がいる。家の歴史を社会につなぐ。徳川慶喜家を継いだ女性当主、その、たおやかなる奮闘。
意志ある女性たちとともに新しい時代の価値観を実践
「慶喜公のご遺体は、おそらく土葬の状態だと思われます。徳川慶喜家は神道のお家ですし、今のようにお寺が管轄する墓地にこのままあるのが本当にいいことなのかどうかと、ずっと考えていました。特に慶喜公は、初代の家康公のもとにお帰りになりたいのではないかと」
分家の当主にすすめられて徳川ゆかりの神社である上野東照宮に連絡。禰宜(ねぎ・宮司に次ぐ神職)の嵯峨(さが)まきさんに会い、思いの丈を伝えたところ、霊廟の管理を引き受けたいという申し出を受けたのだ。
「まさかのお申し出に、『願ってもないことです!』と。あの瞬間のことを思い出すと、今でも涙が出ます」と山岸さん。
色鮮やかに修復された重要文化財の本殿と唐門を望む参拝路にて、嵯峨さんと。慶喜一家の御霊をどこに落ち着かせるかについて相談していたとき、ふいにふたりのいた場所に光が降り注いだという。「運命を感じました」と山岸さん。上野東照宮は来年、創建から400年を迎える
「御祭神のおひとりである慶喜公のご子孫がお墓のことでこんなにお困りだったとは、失礼ながらお話をうかがうまでまったく存じませんでした。真摯にお家の歴史に向き合う山岸さんの使命感に感銘を受けましたし、こちらとしてお断りする理由は何もないと思いました」と、嵯峨さんも当時を振り返る。
さらに、懸案だった史料の委託先として東京国立博物館が浮上。こちらも“ダメもと”で申し入れたところ、受け入れがかなう運びとなった。担当の学芸員が同年代の女性で、徳川慶喜と松平容保を卒論のテーマにした研究者だったという、まさに奇跡的な縁のつながりである。
「本当に、意志ある女性に助けていただきました」と、山岸さん。少子化で後継のない家も多い中、承継は決して由緒ある家だけの問題ではない。性別を問わず誰もが向き合う課題なのだと、山岸さんは、その姿勢で私たちに教えてくれる。
嵯峨さん夫妻の代で改装を行い、輝きを取り戻した上野東照宮金色殿(重要文化財。内部は一般非公開)。写真奥の本殿には中央に初代家康、右手に8代吉宗、左手に15代慶喜が祀られている。唐獅子などの障壁画は江戸幕府御用絵師・狩野探幽の筆
「規模が違っても、家じまい、墓じまいでやることは同じだと思います。思い入れの強さもあって、前の世代は、どうしても古い価値観を押しつけてくるもの。でも、やはり時代とともに変わっていかなければならないんですよ。私は私で懸命に模索していますが、実感するのは、家じまい、墓じまいは正解のない世界だということ。家によって価値観が異なれば、大切にするものも違いますから」
そしてやはり、「自分ひとりでは、とてもここまでたどりつけなかった」と山岸さん。御霊(みたま)移しも史料の移管も始まったばかりだが、もうひとりではない。多くの人が、山岸さんが当主として行う家じまい、墓じまいを見守り、支えている。
「人と人の出会いは、知識と知識の出会いです。だからこそ、思いをお伝えしてともに物事を前に進めるには、こちらの持つものを全部つまびらかにして、信用していただくことが第一歩。私には、隠すことは何もない。これからもすべてをオープンにして、徳川慶喜家の歴史を皆さまにお返ししていきたいと思っています」
上野東照宮
東京都台東区上野公園9の88 ☎︎03・3822・3455
https://www.uenotoshogu.com/
Information
『葵の紋を継ぎまして。』 山岸美喜 KADOKAWA ¥1,980
バブル時代を謳歌した専業主婦が、ある日突然、最後の将軍家を継ぐことに――。親族や関係者とバトルを繰り広げ、時に打ちのめされながらもたくましく道を切り開く姿に、エネルギーと希望をもらえる一冊。素顔の慶喜や徳川家にまつわる人々の意外な一面に加え、世の話題となった徳川埋蔵金の真実(?)など、愉快なエピソードも満載。
やまぎし みき●’68年、東京都生まれ。英国留学、外資系企業勤務ののち結婚。’25年より徳川慶喜家第5代当主。YouTubeチャンネル『徳川慶喜家の物語』主宰。祖母・徳川和子との共著に『みみずのたわごと 徳川慶喜家に嫁いだ松平容保の孫の半生』(東京キララ社)がある。
撮影/目黒智子 ヘア&メイク/金澤美保(MAKEUPBOX) 取材・原文/大谷道子 写真提供/山岸美喜 ※エクラ2026年9月号掲載